ひきこもりろん

広告ライターからエンジニアに転職し、現在はYouTuberデビューを目論んでいる「ひきこもり志願者」が日々の妄想を書き散らかすブログ。

【122日目】2045年と存在価値の日

Google社でAI開発の技術責任者を務め、 人工知能開発において世界をリードするレイ・カーツワイル氏が「2045年までに実現されること」を発表し、大きな話題を呼んでいる。

近年ではシンギュラリティ(技術的特異点)という考えを世間に広めたカーツワイル氏だが、今回も衝撃的な内容が数多く含まれていたので、いくつかをご紹介したい。

まず人工知能についてだが、2020年代にコンピュータの知能が人間を超えるのはほぼ確定事項だそうだ。かの天才・アインシュタインを凌駕するレベルの人工知能が次々に誕生し、相対性理論量子論をも書き換えるような革命理論を日々発表し続けるとのこと。まるでSF映画のような話である。

また、それに伴って私たち人類の生活様式も大きく変化していく。カーツワイル氏の見立てでは、すべての製造業はあと5年で3Dプリンターに置き換わるらしい。実際、2018年現在の3Dプリント技術もかなり進歩しているようで、米国は自動車のタイヤ以外のすべてを作ることに成功している。

また中国では、ビルや住宅の資材を3Dプリンターで製造し、それを組み上げる実験を行っているそうだ。習近平 国家主席からも「インターネット・ビッグデータ・AIと実体経済の融合を進める」という表明が行われ、AIや関連技術の開発に意欲的な姿勢が窺える。

しかし、日本国内において3Dプリンターはそれほど普及していないように思える。果たして製造業に代替されるほどの効果が得られるのだろうか。

そんな疑問に対しても、カーツワイル氏は明確な予言を残していた。3Dプリンターが一般家庭の生活にも浸透することになるであろう、大きな契機。それがコンビニエンスストアの存在である。

これから数年の間で、コンビニエンスストアの各店舗には3Dプリンターが設置されるらしい。現在もネットプリントサービスが展開されているが、その延長と言われれば有り得る話である。ユーザーはストアからデータだけを購入し、最寄りのコンビニエンスストアでプリントアウトすれば良いのだ。

私は現在もコンタクトレンズを定期的に購入しているが、オンライン店舗を利用しているために発送から到着までが遅れてしまう。しかし近所のファミリーマートコンタクトレンズを「印刷」できるようになれば、そう言った煩わしさからも解放されるわけだ。これは実に素晴らしい話である。

こうした生活様式の変化に伴い、人間の働き方も変わっていくだろう。すべての企業がAIを導入せざるを得なくなるため、まず業種の区別が無くなっていく。

さらに職種単位で見ていくと、経理・人事・法務などの業務は一括クラウド化され、AIが担うことになるそうだ。ホワイトカラー(サラリーマン)は急激にそのパイを縮め、その役割を終えると言われている。

唯一、信頼関係の構築が重要な営業職は残る余地があるそうだが、そのコミュニケーション方法も大きく変化していくだろう。カーツワイル氏はメールの自動返信システムも開発しているそうなので、人間はAIが作成したメールの文面を最終確認するだけの存在になるかも知れない。

仕事が減るのは有難いが、人の心の距離は遠ざかっていくような印象も受ける。ここまで来ると、人間は仕事をしなくても良いのでは無いだろうか。

「仕事が無ければ人生は楽しくない」という意見もあるが、例えば宝くじで1等が当たったとして、その後の人生も同じように働き続けられるだろうか。私だったら毎日やりたいことに時間を使う。人生における時間は有限なのだ。

世間ではAIに仕事を奪われると危機感を煽るような意見が多く見受けられるが、どんなに危機感を抱いたところで、上記の世界はほぼ確実に実現するだろう。AIの成長は指数関数的に伸びており、今更どうこうできる話では無いのである。

そうだとしたら、人類は何のために生きていくのか。生物としての存在価値について、そろそろ本気で考えるべき時期が訪れたのかも知れない。種の保存のためか、自己実現のためか、はたまた単なる惰性か。

その答えを見いだせないまま2045年を迎えれば、いかに便利な社会が実現しようとも幸せは訪れない気がする。大相撲だの不倫騒動だのミサイルだの、しょうもない問題に時間を割いている場合ではないのだ。人類全体が建設的な会話に望める日を待つばかりである。

 

※追記1

今日は珍しくまともな記事である。実はこの記事は人工知能によって作成されていて、本人は南国でバカンスを楽しんでいたりする。

 

※追記2

バカンスの話はもちろん嘘である。実際はベットに潜ってスマホで記事を書いている。今日は1日の9割をベッドの上で過ごしたと思う。久々にひきこもりらしい生活が送れて満足である。